きもの人 エッセイコンテスト 入賞作品

準優秀賞作品 


  「紺青の鈴」を読んで

    高橋 治著「紺青の鈴」を読んで
 
                                         広島市 宮下佳世

 「…窯をあける前から出て来る色がわかっとったとしてやぞ、お父さん、焼物続けて行く自信が持てるがか」(P.29)  彩子のこの考えが、若杉写しに苦労する一因になったのでしょうが…。  
社会人になって十三年目。毎月廻ってくる仕事は、段取りから結果までわかっています。私としては、同じ事を繰り返していくことによって得られる自信もあると思います。

 彩子が東山に会いに美大に赴いた時のきものが地味なので、思わず年齢を確認してしまいました。数年前きものに興味をもった時、着たいと思ったのが、母の泥大島でした。私はきもの姿に対して、「姐さん」という言葉に集約されるイメージを持っており、又、地味な方が格好いいと思っていました。しかし、実際身に纏ってみると、全然似合いませんでした。

つくづく鏡を見て、私のきものに対する意識は変りました。きものの良さは、きものっぽい柄とか図案、色にあり、それを楽しむ方が、自分には 似合っていると。そう見方を変えると、現金なもので、ピンクのきものや、母の娘時代の訪問着が『すてきじゃない』。これから結婚して、娘が生まれるとは限らないし、着れるうちに着ないとね、と袖を通しています。最近も呉服屋でピンクの帯締めを合わせてもらって、喜びが隠せない私です。

 とはいえ、多くのきもの 特に紬は帯・帯締め・帯揚げを変えて、死ぬまで着つづけるつもりです。紬は洗う度にしなやかになるというし、一緒に成長していこうねと、きものに夫唱婦随を求めたりなんかして。

 で、その大島は、未だに母に返すことなく、私の部屋にあります。時々たとうし越しに、まだまだ でもいつかは と思いながら見ています。ですが、今となっては、貫禄がついて似合う日が来るのは、ずっとあとでもいいです。

 茶の湯には無駄な仕草は何一つありません。それでいて、客のことを思いやり、無機質なものは感じません。しかし、私が点てるのと先生が点てられるのとでは、キレと雰囲気に雲泥の差があります。繰り返し研摩して美を造り出す。私にとってきものは、遊びの部分が大半なのですが、きものが素敵なのではなく、きもの姿が素敵になるよう、のびやかですきっとした格好の良さを目指しています。