きもの人 エッセイコンテスト 入賞作品

奨励賞作品 


  
紬を着るということ

立松 和平著「染めと織りと祈り」を読んで

                                          横浜市 尾下 理恵

「昔の人は今の人を苦労さす。昔の人がやらなんだらこんなことやらなくてもすんだ」*。これは、奄美大島で大島紬の泥染工房を営む肥後英機氏の言葉である。  

本書には日本各地から20名の染織家が登場する。彼らの仕事はどれをとってみてもこつこつと身を削るような地味な営みであり、根気強さと、併せて繊細な神経をも要求される厳しいものである。加えて妥協は一切せず、そこには頑固で一途な職人魂が見事に息づいている。

「昔ながらのやり方で往復切り返しするのは、私らだけです。ほかは水かけて片方通していくだけですよ。それでは変色します。手を抜かずにやれば、三百年たってもびくともしません。(中略)妥協せんと藍を作るんです」**(国選定阿波藍製造技術無形文化財保持者/佐藤昭人氏)。  

そして彼らは、どこまでも真摯で敬虔である。石垣島で川平織の工房を主宰する深石美穂氏は言う。「沖縄の柄は祈りを織り込めてあります。信仰を織り込めるのです。自然と一体になって、我を忘れ、水も木も生きて自分もあるんだという喜びを織り込めていったんでしょう」***と。

郡上紬を育て、人間国宝となった故 宗廣力三氏は「(紬は)最終的にやっぱり調和の美、人間の体を通してのみ出る美しさを狙いたいものです」と、ある対談で語っている。「用の美」としての紬について考えさせてくれる含蓄のある言葉である。
着用することによって初めて醸し出される美しさを着物の「用の美」とするならば、技への驕りを決して出すことなく、それを作り出す人はあくまで謙虚でなくてはならない、と宗廣氏は語っているのである。

20名の染織家たちは皆、自らが生きている基盤、つまり自然に対して敬虔な祈りと感謝を捧げつつ、自然からの恵みのひとしずくをも無駄にしないで精魂込めて、それを糸に染め上げ布を織り上げていくように、私には思われた。自然を相手にしているからこそ、その営みは限りなく厳しく、妥協は許されず、そして製作姿勢はあくまで謙虚なのである。
何故なら、自然は人智の及ぶ限りではなく、遥かに大きく深いからだ。本書を読み進む過程は、一人の紬の着手としての自分が、いかに気楽で無責任な存在であるかを、痛切に思い知らされることでもあった。

紬を着るということ。それは染め手、織り手への感謝の気持ちを忘れないということであり、さらにはその紬を生み出した母なる自然へのあくなき畏敬の念を持つことである。作り手と同じく、着手も謙虚な気持ちを、決して忘れてはならない。作り手の「たましい」を着手が確かに受け継ぐということが、一枚の紬を本当の意味で「生かして」着ることになるのだと思う、今日この頃である。

(注)    *  本文P.28より抜粋

       **  本文P.41より抜粋

      *** 本文P.25より抜粋