想い 「私にとってのきもの」

母の割烹着                  眞由美さん 35歳

黄色の縞の着物を着た母の背中。
これが私の人生の中で初めて着物というものを 認識した時かもしれません。
旅館の女将として 忙しく立ち働く母のまさに「労働着」であった のです。
これを着ている間は自分とは一緒に 遊んではもらえないんだということを幼心にも 感じていたような記憶がうっすらと残っています。

そんな環境で育ちながら、着物に一切興味を 示さなかった私。お見合い用の写真を撮るため 袖を通した母の心づくしの振袖も、「着るのが 難しいんだなあ」という感想しか持たなかった 親不孝娘でした。

そんな私が初めて「着物っていいなあ」と 思ったのはまさに振袖が着られる最後の日、 結婚披露宴の時だったのです。
その振袖は 母と姑が選んだつつじ色に花と蝶が描かれた 目のさめるような鮮やかなもの。ウエディ ングドレスとは違う身の締まる思いがして、 いよいよ嫁いでいくんだなという実感が 湧いたのを覚えています。

そこからはひたすら育児に追われて、10年 もの間、嫁入り道具として持ってきた和箪笥の 中身の着物たちを省みる余裕もなく過ごして きました。
そんな私を着物の世界へいざなっ てくれたのが2年前から再びのめりこみはじ めた「歌舞伎」です。
きらびやかな舞台になお 一層の彩りを添える衣装の数々。
ただいろんな 演目を見ても、気になるのは赤い綺麗なおべべ を着たお姫様の衣装ではなく、おかみさんの ちょっと小粋な縞柄だったり、格子柄だったり しましたが…。

そんな中で、自然に自分も着物を 着てみたいという願望を持つようになった気がします。そしてこの秋から着付け教室に通い始めました。
不器用な私のこと、帯結びが頭でわかっていても 体がうまく動いてくれない。
それは泣きたくなる ほどでした。 「着物は自分のポリシーを表現するキャンバス」だという 思いが、着付けを習いだしてからずっと自分の心の中に あったような気がします。

着こなしに自分の普段の心根 や生活などが現れてしまうようで…。
だからこそ、帯結びが ちゃんとできない自分が歯がゆくて許せなかったのです。
意気込んで始めたものの、着付け教室に通うのも心が 重く、もう投げ出したいような気分になりかけておりました。

そんな時、きもの人のメルマガに出会いました。
確か日付は11月17日。その日、女将さんから いただいたメールに書いてあった 「帯ができなくても着物を着るという気持ちが 大切ですよね」 という一文が、なんだかほっとするような温かいものを 私の胸に残してくれたのです。

それで、きもの人のHPを訪ねてみました。 そこに登場されている方のお話を読ませていただいて わかったのは 「みなさん、着物を本当にいとおしく思ってるんだなあ」 ということ。愛する気持ちがあれば自然と自分なりの 着こなしができていくのかもと、だんだん考えが変わって きました。

今まではいかに上手に着こなすかという、 他人の目を気にした技術面ばかりに気をとられていて、 「自分の想い」という部分を忘れていたのかもしれません。
(もちろん、技術も大事ですが) いろんな着物と出会い、その感動を表現できるような 着こなしをしたい、今はそう考えています。

街で出会った着物姿のおばあちゃまがおっしゃった 「着物は好きになっていっぱい着てあげることが大事なのよ」 という言葉をかみしめつつ・・・。
外は一面の銀世界。
そんな今年の冬は お部屋の中でサンダルウッドのお香を くゆらしながら、母から譲られた小紋で 着付けの練習をしています。
心落ち着くひとときです。

掛け軸は、昨秋の勘亭流の 勉強展の時のものです。 お習字を書くのも心がなごみます。

眞由美さんのコーディネートは、ここ