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想い 「私にとってのきもの」

わたしのめざす終着点                   理恵さん
 
 
幼い頃から着物が大好きで、今では機会あるごとに(いや、機会を無理やり創出してまで)何の抵抗もなく、着物に袖を通す私。

美しく多彩な色と伝統的な意匠、絹の艶やかですべらかな光沢と手触り、歩くたびに足元から立ち上る優雅な衣擦れの音・・・。単なるファッションアイテムとしてとらえただけでも十二分に女心をとらえて離さない、「のめりこみ」という名の悪魔がひそむ衣装、それが着物というものだ。

この悪魔の触手に吸い寄せられ、束ねられ、がんじがらめに縛られて、はた!と気が付けば、嫁入り道具の和箪笥がどうしようもないくらいに膨らみきってしまって、それでも私は展示会や呉服屋の店頭で新しい着物や帯を見ては、また欲しくなる。  

こんな私が、しかし今まで「私にとっての着物とは?」などと自分に問いかけてみたことは一度もない。
「きれい」だから着たい!「きれい」なものを着たら「楽しいし、とても気持ちいい」からもっと着たい!の繰り返しで今まで来たのだが、その根底には「着物が好き」という、極めて単純な感情が存在している。  

ではなぜ、私は着物が好きなのか?着物のどこが、私のこころをこうまで捕らえて離さないのか?考えてみると、それは実に単純明快だった。着物で私は「おんなを磨いている」のだ。  
「おんなを磨く」というのは、端的でわかりやすい言葉だが、非常に危険な表現だ。なにやらアブナイ雰囲気すら漂う。ここでもう少し説明を加えよう。  

和装を好む女性には二通りあると私は思う。
「和装家」と「女装家(にょそうか。じょそうと読まないでね)」と。
和装家は、着物を純粋にファッションアイテムとして洋服の対極に位置するものと捉え、自分自身をよりよく表現するために着物を纏う人。
一方、女装家とは、自分の中に本来巣くっている「おんな」の部分を、着物を纏うことで白日のもとに引き出し、その部分をうまく、そしていい方向に(中には変な方向に行く人もいるけれど・・・)涵養したいと考える人。

ここまで読んだ方には、もうおわかりだろう。
そう私は、まぎれもなく「女装家」である。着物を着ることにより、遺伝子学的意味合いでの「おんな」の持つ優しさ、たおやかさ、すがやかさ、素直さ、可愛らしさ・・・、つまり「おんな」の美徳を磨きたいと考えるタイプなのである。  

磨いて、どうする?その結果、男性に媚びて、色気をふりまいて・・・、なら、これはどうしようもなく、下品で嫌味な女になり下がるだろう。
私は男性に媚びる気は毛頭ない。

では何故?  磨かれたおんなは一輪の花であり、真の意味で美しいと信じているからだ。  
「花なくては萎れ所(しおれどころ)無益(むやく)なり」。これは、中世に能楽を単なる芸能から芸術に高めた世阿弥の「風姿花伝」の一文であり、私の好きな言葉の一つである。

萎れてなお容(かたち)のある花・・・。私の「おんな磨き」の終着点は、実はここにある。そして着物は私にとって、この崇高なる終着点への、何よりも心強い道連れなのである。

みなさん、こんにちは。

「きもの美人」NO.9に登場しています尾下理恵です。 (勤め先は決して銀座ではありません。念のため・・・)
「きもの美人」NO.9は、ここ

さてみなさんは「和装家」、「女装家」果たしてどちらでしょうか?
これを機に考え てみると、また新しい着物の世界や着物へのアプローチの仕方が見えてくるような気 がします。


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