■きもの
周囲48キロの小さな島、久米島。 久米島紬の織子さん達は図案作りから仕上げのきぬた打ちまで一人で行います。 久米島紬の独特な色合いは「草木染め」ならではのもので、肌に優しく、化学染料では決して出せない色です. 「きぬた打ち」は紬の光沢と風合いを左右する重要な仕事で、「きぬた打ち」をすることによって身体に着物が馴染み易くなり、 生地全体に絹織物独特の光沢が出るのです。また布面に折線が出ないような工夫と、 杵の角で布を切らないように平行に打つなど細心の配慮が必要となります。 織物最後の良し悪しを決める「きぬた打ち」、力だけでは出来ない大切な仕上げの工程です。 218
■帯
藤山千春作
間道と呼ばれる裂地は、いろいろの字を用いていますが、いずれもあて字で、 縞織物、格子織物の裂を間道と呼んでいます。 それらの織物をなぜ『かんとう』と呼ぶのかについてはいろいろの説がありますが、はっきりした根拠はわかりません。 縞(格子)織物の新鮮な感覚が 千利休・今井宗薫・古田織部らの茶人に迎えられたためか、早くから名器の袋裂に用いられました。 吉野間道は、寛永三名妓とうたわれた吉野太夫に、京都の豪商灰屋紹益が贈ったと言われる織物で、浮織縞を真田風に打ち込む独特な風合いを持ちます。
かの名茶人松平不昧もこれを好み、自らその写しを中国に注文したと伝えられています。
吉野間道はたて糸を2本使って織られています。 通常はたて糸1本 よこ糸1本を使って織っていきますがたてに太い糸1本と細い糸1本の2種類を使います。 その交差する状態が柄になっているのです。
太い糸と細い糸を巧みに使い分ける作家 藤山千春先生の腕の良さも現代の吉野間道の重要なポイントです。
江戸時代に生まれたこの織り方を女子美術大学学長柳悦孝(やなぎよしたか=柳宗悦の甥)たちが復元しました。
藤山千春先生は柳悦孝先生に厳しく指導を受け、一番弟子として完成度の高い作品を作り続けていらっしゃいます。
藤山千春先生だからこそ、この吉野間道が出来ていると言えるでしょう。 355 |
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