組
物
正倉院には、飛鳥・奈良時代、遠くシルクロードにその源流をもつ中
国文化(隋・唐代)の影響をうけ、組物の発達史上、きわめて貴重な
品が多く所蔵されています。その中に、技術的にも色彩的にも非常に価値の高い組物が、おびただしく
残ってその時代を忍ばせます。
組物には、聖徳太子の太刀を支えていた
笹波組と呼ばれるものもありました。
組物は、貴族文化が華やいだ平安時代に入ると、さらに、繊細優美・
純日本的なものとなって花咲きました。組物の中で最も高度な技術が
要求され「組物大様」と称されれる唐組においては、平安時代初期、
平緒として、官位五位以上の貴族だけが、その権威の象徴に用いる
ことを許され、それは、また累代の家宝として扱われました。
そして、それ以後も、それぞれの時代において優れた組物が作られま
したが、時の流れとともに、その伝統的技術は次第に衰退していき、
現代においては帯締などにかすかにその姿を残すだけとなりました。
この過去に輝かしい歴史をもちながら消えさろうとしていた組物を、
新しい方向へ導いたのが、工芸作家・伊豆蔵明彦と(株)ひなやでした。
彼らは、次々に過去のすばらしい組物を復元していき、さらに、それら
を現代の生活空間の中にとり入れ、生かすことによって、組物に新しい
生命の息吹を与えたのです。祖先が残した宝物を、大事に次の時代に
引き継いでいくだけでなく、現代においては、それらを超える新しい美を
創りだしていかねばなりません。組物とといういにしえのすばらしい遺産
は、彼らの手によってさまざまなかた、また、さまざまな価値の高いもの
に変わって、これからも、世界に生き続けていくでしょう。