お仕立て上がりのお値段です。 10回までの分割で、またはボーナス一括お支払いで、手数料は当社負担です。 分割の流れは、こちら 2005年7月16日(金)に、久米島紬は、国指定の重要無形文化財に指定されました。 これは、結城紬に次ぐ価値ある評価です。 また久米島紬保持団体(玉城カマド代表) も保持団体として認定されました。 沖縄は1609年に薩摩より侵略を受け、その2年後の1611年からいろいろな種類の税金が言い渡されました。 貢納布として、紬が記録に残っているのは1661年がもっとも古く、 江戸時代には、久米島の紬織りが、「琉球紬」という名でもてはやされました。 18世紀以後は、紬の生産が大変盛んになります。近代に入ってからの資料によれば、 両村で紬799反を税金として納めています。 この紬は、米の税金(租税)の代わりとして大半を納める仕組みで、これを「代納」といいました。 これにより、米の税金は軽減されましたが、15〜45歳までのすべての女性に課され、 一種の人頭税とも言われてたいへん負担の多いものでした。 しかし、不平等なことに役人の妻などは免除になったのです。 各集落には、染物文子という係が指導や監督をする「布屋」(現在の公民館)という建物があり、 そこが機織りの工房となっていました。 明治30年代に御用布の制度はなくなり、その頃までに伝えられた久米島紬織りの技能の伝統が その後も現代に脈々と伝えられています。 琉球王府時代からの貢納布制度は、1879年(明治12年)の琉球処分により沖縄県になってからも存続し、 以後、納付された紬は、宮古・八重山の織物とともに、那覇税務署に納められてから大阪市場で売却されていました。 ようやく1903年(明治36年)になって、地租条例・国税微収法の施行で廃止されました。 こうして織物税の制度が撤廃されて、人々は、自らの生活の糧を得る仕事として、再び紬を織ることに取り組むことになります。 ここから、紬の産業がはじまりました。 久米島紬は、主に車輪梅(ティカチ)、サルトリイバラ(グール)、泥(媒染)、 ナカハラクロキ(グルボー)、フクギ、ヤマモモ、オオハマボウ(ユウナ)などを 使って染めています。 泥染めというのは、久米島紬独特の染色方法で、黒褐色に染めるため、最初にグールで染め、 次にティカチで染め最後に色落ちしないように、泥で媒染します。 1反に、約3ヶ月間かかって、染めと織りを行います。 現在、久米島紬を織っているのは、約140名と言われます。 ここでご紹介する久米島紬は、田場八重さん作です。 ざっくりした白地に、墨色のデザインが涼しげでモダンです。 価値ある夏の1枚としてご利用ください。
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