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女将 女将奮闘記
サイト開設までの経緯編 vol.11
酒井美登里先生
牛首紬、澤屋重兵衛さん、酒井美登里先生に同じ日に催事で巡り合った時には、まだ、きもので仕事をするのは夢の段階 でした。
でも、その後も、とても気になる牛首紬と澤屋重兵衛さんでした。 澤屋重兵衛さんは帯を買ったので、小売店を通してその後名刺を いただけることになりました。

帯を買っていなかったらこうはいきません。(笑) そして、私は重兵衛さんの名刺を前に何日か考え込んでしまいました。電話をしたいのですが、何と言って? ファンですと言うのはちょっと違うし、売らせて下さいも違う。

では何?と考えても何も浮かばないです。では電話しないか?と考えると、それはいけないと思うのです。 前に足を踏み出すか、じっとしているかという時に、私は失敗するかもしれなくても踏み出す人間のようです。 ですから、とりあえず電話をしました。

リリリーンと鳴って「澤屋です」と出られたので、どきどきしながら「重兵衛先生は、いらっしゃいますか?」と お聞きすると「地方に出かけたばかりで、4,5日帰ってきません」ということでした。 先生にお目にかかりたいとは言えずに、品川でお会いしたアドバイザーの方にご連絡を取りたいと言うと、ご本人に連絡をとってこちらからお電話しますとのこと。

きっと変な電話だと思われた、なんて気にしながらも、何日かするとその酒井先生からお電話がありました。 「私のことですか?私でいいの?」っておっしゃるのを、「はい、あの時お会いした者で、ぜひ先生とお話したいので」と言うと、ちょうど時間があるから明日会いましょうとのこと。




ええっ、こんなことが有っていいのかと思ってしまいました。 1回お会いしただけの名前も分からない方に、もう1度会いたいから 会って下さいと言ったんです。(^−^)
新宿の三越前で待ち合わせして、その時間に行くと正しく 酒井先生がおきもの姿で立っていらっしゃいました。

よくわざわざお会いいただけたと、恐縮してしまいました。それに酒井先生はとても忙しい方で、余り時間が空いてないのにたまたまその日は空いていたのです。 何から話せば良いか戸惑いながらも、それまでの経緯をお話し、漠然ときものの仕事をしたいと言いました。

先生は、大きな着付けの組織の講師をしながら自分でも着付けと作法の教室を開いて、片や作家物のアドバイザーもなさっている方でした。にこにこしながら、自分も若い頃は色んなことに挑戦した。 きものの普及のために少しでも多くの人に活躍して欲しいと、 本当に親身になって聞いて下さいました。

明るく楽しい気さくな先生で、私が思っていたとおりのお人柄でした。 励まされながらも、先生は、「あなたは、きものの基礎ができていないのだから、それを何とかしなくては。」と、痛くも的を得たアドバイスを下さいました。

着付けを習うことで、素材や歴史、きものの周辺知識を吸収するとか沢山のきものを見ることなどをしなくては、と言って下さいました。 私はその後、酒井先生宛に、簡単な経過報告のレポートを作ってお送りしていました。

きものだけではなく、ネットの準備や組織をどうするかと言った様々な問題もあるのですが、とにかく きもので仕事を開始するための準備に関してのレポートを何回かお送りしました。

先生からは、特にご返事があるわけではなかったのですが、1人だけで進んでいる道をどなたかに見ていて欲しかったのです。 そして牛首紬と巡り合う機会も訪れました。


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