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女将 女将奮闘記
サイト開設までの経緯編 vol.4
今井登茂子先生

天職はないけれど、秘書だけはもう辞めたいと強く思って いた私は、何気なく、尊敬する師、今井登茂子先生を お訪ねしました。

今井先生のサイトは→ここ

今井先生は、TBSの初代お天気お姉さんで、 コミュニケーション指導の第一人者として、 アナウンサー指導や、企業での人材教育に携わり、 資生堂の対面販売の生みの親でもあります。

ちなみに今井先生は、私が19歳の頃見た雑誌アンアンに 掲載されていた方で、気になって今井先生のページだけ 何気なく切り取って持っていました。 その後20年近く経って日本秘書協会でそのお名前を 拝見した時は、出会えた偶然に驚き、すぐにお電話して 渋谷にある今井先生のスクールに1年ほど通わせていただきました。

20年目に出会えた、出会いたいお方でした。 先生は雑誌や本の執筆で大変お忙しく、時間は取れませんと おっしゃる中、何とか10分だけお時間を作って下さいました。




さて、その当日です。 先生はにこやかに明るい声で、「まあ、いらっしゃい。」 と話しかけて下さいます。 ところが、私は何を話して良いか途方にくれるばかりでした。 だって、その時私が言えるとすれば、 「秘書はもうイヤです。他の何かをしたいけれどそれが分かりません。」 と、まるで子供みたいなことだけなのですから。

貴重な時間をいただいて、用件も伝えられず、はがゆい時間が流れていきました。
先生も、初めは戸惑っていらっしゃたのですが、その内に、 「今までの秘書のキャリアを大切にしっかりと抱きしめてあげなさい。その上に、次の仕事を築いて行きなさい。」 とおっしゃったのです。

秘書協会の理事もなさっている先生は、企業における秘書の立場を良く ご理解なさっていました。 私は、この言葉をお聞きした途端、涙がポロリと流れ出るのが分かりました。

私の心も頭も冷静で、声だってとてもしっかりしています。 落ち着いて自分の事を話せていました。 悲しくも寂しくも有りません。 でも、静かな感情の裏でなぜか、 涙がポロ、ポロ、ポロと止め処もなく流れだしてきます。

初めは手で押さえていた涙が、もう静止出来なくなって ティッシュペーパーを何枚もお借りしました。 不思議なのは、涙の意味が自分でさっぱり分らないことです。 溢れ出る涙がなぜ出るのか分らないという初めての経験をしました。


その時は、コミュニケーションの達人である今井先生が私の心に向かって話し掛けて下さったからだろうと漠然と思っていました。
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