[ サイト開設までの経緯編
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サイト開設までの経緯編 vol.13 |
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牛首紬の先染めは、染めと織りの全てが一貫工法で白峰で完成します。
それに対して後染めは、白生地を金沢や京都西陣に運んで、そこで染められます。 |
これはつまり、先染めに関しては産地が直接販売する条件をかなえているということです。
それもあって、産地はネットでの販売を検討していたようです。
そこに、恐る恐るでも私が、「売りたい」と一番手を上げたことは、好タイミングでした。 ためらいながらでもかけた1本の電話ですが、それは大きな1歩でした。
産地との細いパイプができましたが、「本当に牛首紬を売るの?」と迷いは続きました。
実は、私はその時期に着付け教室に通っていました。 図書館の前で何気なく見た着付け教室の案内状を見て、着付けは若い頃に習っていたので自分で着ることはできたのですが、何気なく申込みをして週1回のおけいこに行っていました。
その着付け教室は大変良心的で、浅草橋の問屋さんを先生が紹介してくださって、そこにみんなできものや小物を買いに行っていました。 私がきものの仕事を始めようと思った時に、この問屋さんの事も考えたのですが、
私は、産地から直接仕入れをしたかったので、問屋さんにその話をする訳にはいきません。
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ところが、ある日その問屋さんに行った時に、お店開設の話をしてみたい気にかられました。 「だけど、産地から仕入れたいのならそうすれば?」と言われればそれまでだし、お客様として出入りさせてもらっていたのに今後出入りが難くなると困るな。なんていう不安もありました。
そこで、若い女性店員に「私がお店で売ってもいいの?」と聞くと「いいですけど、お値段はこのままだし、現金決済です」と言います。 「ああ、そうか」と思い、「詳しい話は上司を呼びますが、どうしますか?」と聞かれました。
「あっ、いいの」「・・・ああ、でもお願い」と心臓ばくばくしながら答えました。 「ああ、出入り禁止になったらどうしよう」と思いながら、かなりの緊張状態でその上司を待っていました。
やってきた50代のその営業次長さんは、「どんなお店?」と聞かれるので、私は、まだマイナーな世界と言えるインターネットショップだし、私の経験は浅いし、牛首紬は高級過ぎるしと思いながらも、牛首紬を売ってみたいと自分を押さえ気味に話しました。
その方は、色んなことを聞かれたのですが、私の話が一段落すると、 「分かった。分かりました。伊藤さんの熱意に負けたよ。協力します。自分はサラリーマンだから、できることは限られているけど、できることは何でも協力する」と言って下さいました。
私はあっけに取られました。 そんなに熱弁を振るったつもりは無かったのです。 でも、協力して下さると言われて、またしてもバンザーイです。
この頃の時間感覚は、それまでの感覚と違いました。 時間というものを特に意識していたのではないのですが、何だか違うと思えるのです。
ふんわりした時間ではなく、圧縮された濃厚な時間が過ぎているように感じることが何回もありました。 |
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